続きです
少し文脈は変わりますが、私が思うところのカウンセリングを「カウンセリング」という概念から一度離れて、話させてください
私はあまりやりたい事がありません
食べたい物もなければ欲しい物も特に思い浮かばないんです
しかしそこに対象物が現れた時、例えば困っている方がそこに現れた時に初めて「この人に伸び伸びと生きて欲しい」と云う欲しいが顕れます
しかしそれは「何々したい。何々させて欲しい」と云う類のものとは違います
あくまでもその人がして欲しいのであり、主体はその人以外にはあり得ません
その人の為に先回りし何かをしてあげるのはその人がする機会を奪っているとも言えますし、具体的な解決策や知識を提供しすぎるのも、その人が考え経験する機会を奪っているように思えます
それが好転することもあると思います。
ただ、いまは私自身のお話を淡々とさせていただいています
では私は何をするんだと云う話になってきますが、、、
なにもしません、、、
ひたすらなにもしないんです
なにもしなくてもこれまでの相談者様は、私に辛いことなどを話して知らずのうちに安心し少しづつ今の状況を受け入れ始め、前を向けるようになっていかれています
私はこの無形の形を世の中の概念に当てはめた時、「カウンセリング」なのではないのかなと思うんです
こう云う基準がありそれに当てはめながら、相談者様にも当てはめながら行っていくのではなく、相談者様毎によって常に形が変わりゆく生き物のような「カウンセリング」
理念なんて大袈裟な表現ですがあえて云うのであれば、そう云う所です
本日もご観覧ありがとうございました