なにもしない
こんにちは
前回なにもしないと云う言葉を沢山使いましたが、今回はそのなにもしないについて書かせて下さい
なにもしないのに説明なんてあるのかよと云う意見はもっともです
ですからなにもしないと云うのは、事実なにかしてます😂
外から観るとなにかしてます、当人は自然にいるだけです
自然に、目の前の方が困っておられるから「どうかしましたか?」と声をかけます
お腹が空いたので自然に食べ物を求め出掛けて行きます
「私が私でいる」「自然体でいる」そのような表現が近しいと言えるでしょう
ある人はそこに山があったら登るのでしょう
ある人は音楽を聴くだけで身体が踊りだすのでしょう
ある人は祈りをかかさないのでしょう
#自然体 #山があったら登りたい
続きです
少し文脈は変わりますが、私が思うところのカウンセリングを「カウンセリング」という概念から一度離れて、話させてください
私はあまりやりたい事がありません
食べたい物もなければ欲しい物も特に思い浮かばないんです
しかしそこに対象物が現れた時、例えば困っている方がそこに現れた時に初めて「この人に伸び伸びと生きて欲しい」と云う欲しいが顕れます
しかしそれは「何々したい。何々させて欲しい」と云う類のものとは違います
あくまでもその人がして欲しいのであり、主体はその人以外にはあり得ません
その人の為に先回りし何かをしてあげるのはその人がする機会を奪っているとも言えますし、具体的な解決策や知識を提供しすぎるのも、その人が考え経験する機会を奪っているように思えます
それが好転することもあると思います。
ただ、いまは私自身のお話を淡々とさせていただいています
では私は何をするんだと云う話になってきますが、、、
なにもしません、、、
ひたすらなにもしないんです
なにもしなくてもこれまでの相談者様は、私に辛いことなどを話して知らずのうちに安心し少しづつ今の状況を受け入れ始め、前を向けるようになっていかれています
私はこの無形の形を世の中の概念に当てはめた時、「カウンセリング」なのではないのかなと思うんです
こう云う基準がありそれに当てはめながら、相談者様にも当てはめながら行っていくのではなく、相談者様毎によって常に形が変わりゆく生き物のような「カウンセリング」
理念なんて大袈裟な表現ですがあえて云うのであれば、そう云う所です
本日もご観覧ありがとうございました
初投稿
こんばんわ。blogを拝見して頂いてありがとうございます
本日は軽いご挨拶だけさせて頂きますね。
個人でカウンセラーをしている将人と申します
個人でというと今は自己発信力が大切な時代なのか、沢山の「自称」が乱立していて中にはあまり良くないお話も耳にします。
なので私自身も一体どういう目的で始めるのか、気持ちの程は、と沢山の問いかけをし行動を起こすのに正直なところ、結構苦労しました。
でも結局な所私自身の意志はしっかりしていて、迷っていた部分というのは周りに受け入れられるかどうか、胡散臭く思われないかどうかなど周りに焦点を合わせている時に発生しているもののみでした。
疲れてきたので明日にまた続きを書かせて頂きますね
ご観覧ありがとうございました